御絲織(みいと織)
伊勢神宮の成立時に内宮の五十鈴川のほとりに建てられた、神様の衣を織る機殿神社(成立は垂仁天皇25年・紀元前5年)が伊勢湾に面した宮川と櫛田川の堆積平野へ移され、周辺に絹と麻を織る技術集団が移り住んだことにより、古代紡績の中心地となりました。文禄3年(西暦1594年)に中国・明より大和へ移植され根付いた綿が伊勢へ伝わり、平和が続く江戸時代に綿は急速に普及し、伊勢湾沿いに伊勢→松阪→津→知多と北方へ拡大しました。
神様の御衣を織る作業を奉織(ほうしょく)、使用する糸を御糸と呼び、「御(おん)」は名詞に付いて尊敬の意を表し、古くは神・天皇に関するものに用いることが多く、御糸(みいと)はこの地域の地名にもなっています。
みいと織を謹製する「御絲織物株式会社」の所在する、櫛田川の右岸では今も伊勢神宮125社の所管社である神服織機殿神社(かんはとりはたどのじんじゃ)と神麻続機殿神社(かんおみはたどのじんじゃ)が鎮座し、神御衣祭を控えた5月と10月に神宮から神職が参向し、それぞれの八尋殿で奉織(御衣奉織行事)が行われます。奉織の前後には神御衣奉織始祭(かんみそほうしょくはじめさい)、神御衣奉織鎮謝祭(かんみそほうしょくちんしゃさい)が行われ、戦国時代に中断されながらも、この地域の神領民は今も機織の奉仕を行なっています。江戸時代にはこの地域で生産された木綿が伊勢商人の主力商品とされ、最盛期には1000軒もあった織屋さんは、現在は御絲織物株式会社ただ1軒となりましたが、今でも糸の藍染から織りまで一貫生産を行っています。